44マグナム「アイム・オン・ファイヤー」


スズキくんと前後して去年入社したのがミズノである。
ミズノは体格のいい男で、
後にマグナムというニックネームがついた。

笑顔が妙に爽やかなので、ミズノをモデルに
ビールの
CMパロディをつくったら面白そうだというヨタ話が発端である。
ビールの銘柄はやはりマグナムドライがいいだろうということになった。

BGM1980年代に一世を風靡したヘビメタバンド、
44マグナムの『アイム・オン・ファイヤー』。
灼熱を思わせるメラメラと燃える炎をバックに、
ミズノがマグナムドライをゴクゴクと飲み干す。
そして、「アーッ
!!」と満足そうな声をあげ、ニコッと笑う。
実にいい
CMができそうだった。

かくしてミズノはマグナムとなった。
ので、以下マグナムと記させていただく。

マグナムはデザイナーとして僕が勤める会社に面接を受けにやってきた。
最初に面接したのは、制作チームリーダーの女性だった。
この女性による
1次面接では採用してもいいのではということだったので、
2次面接をすることになった。
本来であれば専務が面接するところだったのだが、
スケジュールが合わず僕に一任された。
専務から出された採用条件は給与面のみ。
提示した金額で
OKであれば採用してよいとのことだった。

結局は金かよと思ったが、
それは専務の考えであって、僕の考えではない。
僕は僕の判断基準で
一緒に仕事をできるか否かを見極めようと思いつつ面接に望んだ。

目の前に座っていたのは、
キチンとネクタイまでしめたスーツ姿の好青年だった。
自慢じゃないが僕は冠婚葬祭以外では絶対にネクタイなどしない。
そんな僕から見れば、それだけで好印象であった。

さらにマグナムは、
「先日面接にうかがった際に、
旅行関係の仕事を担当してくれるスタッフを探していると聞いたもので」といいつつ、
1冊のファイルを僕に見せた。
1次面接が終わってすぐ、自分なりに資料を収集したのだという。

僕はこういうやる気があって、すぐ行動する人間が大好きである。
彼ならきっと一緒にいい仕事ができるだろうと思い、
僕は専務から提示するよういわれた金額を提示した。
僕としては年齢を勘案したら、ちょっと安いのではと思ったが、
マグナムはそれでもいいといった。
お金のことで、ごちゃごちゃいわない態度も気に入った。

そして、マグナムは入社してきた。

しかしマグナムが入社してから、社内の組織体系が変わった。
それまでは僕が制作の長として
すべてのクリエイターを指揮・管理していたのだが、
デザイナーが
3つのチームに分けられ、
それぞれのチームごとに独立したチームリーダーがつけられた。

僕はそれまでのクリエイティブ・ディレクターから、
チーフコピーライターという肩書きに変わった。
そして僕には、社長直属の企画室室長という、
なんとも奇天烈な肩書きが加えられた。
要するに、社長が前々から念願している広告屋以外の新規事業を立ち上げる
プロジェクトリーダーを務めよという人事であった。

これに僕は猛烈に反発した。
僕は広告屋である。クリエイターである。
ベンチャー企業のような新規事業の立ち上げ屋をするつもりはない。
そのためにそれまで責任をもって務めていた
クリエイティブ・ディレクター職を解かれるというのはどうしても納得いかず、
進退伺いを懐に専務と直談判した。

そして僕は従来どおり、
クリエイティブ・ディレクターとして勤務することとなった。


しかし社内体制としては、
デザイナーたちはそれぞれ独立したチームが管理することとなり、
マグナムも女性の新しいチームリーダーの指揮・管理の下で勤務することとなった。

このチームリーダーのマグナムに対する評価は最低だった。
全然、使えないという。
僕が勤務する会社はデザイナーに対して、
すぐにそういう判断を下す傾向にある。
使えなければ使えるようにするのが上司の務めなのではないかと思うのだが、
専務を筆頭とするデザイナーの長たちにそんな意見は通用しない。

マグナムはデザインをさせてもらえず、
毎日毎日、画像処理と切り抜き作業ばかりをさせられていた。
これでは生殺しである。
伸びる才能も伸びないし、やる気も失せる。
僕は人材を育てようとしない会社に対し、怒りを覚えた。
そしてマグナムに
「オレがなんとかしてやるからもう少し辛抱しろ」といっては励ましていた。

僕が勤務する会社は9月決算なので、
10月から新年度となる。
で、新年度を迎えたら、社内組織の改変を提案し、
マグナムを僕のアシスタントとして
会社に認めさせようと考えていたのである。

その10月まで、あと1か月。
そんなある日の深夜、事件は起きた。

514日の日記に書いた、会社設立5周年記念パーティ後、
2次会を行っていたお店で、あの滝川クリステルを社員たちが目撃したという、
その夜のことである。

この夜はパーティ終了後、
社員たちはそのままホテルに泊まることになっていた。
社員旅行のかわりを兼ねてのことである。
が、僕はパーティ終了後に帰った。
次の日からとれずにいた夏休みをとることになっていたので、
貴重な夏休みを会社の行事がらみでつぶしたくなかったからである。

マグナムは相当鬱憤がたまっていたのだろう。
2次会の席上で、パーティに出席していた会社の顧問会計士に向かって
酔いにまかせて会社の批判をしたという。
その顧問会計士も、酔っ払いのいっていることと適当に聞き流せばいいものを、
そういうことはせっかくの機会なのだから社長に直接いったほうがいいと
マグナムをけしかけたそうだ。
そしてマグナムはよせばいいのに、
社長に向かってああだこうだと不平不満をいったらしい。

そして、社長がブチ切れ、マグナムを殴った。
会社設立
5年目を祝う、記念すべきパーティの夜に社長自らが、
社員に暴力を振るったのである。

僕は夏休み中、このことを全然知らされずにいた。
夏休みを終え出社したところ、
マグナムが退社したことを経理のフジサワさんから教えられた。

フジサワさんはパーティ自体にも参加しておらず、
マグナムの退職の経緯について詳しいことを知らなかった。
僕は他の社員をつかまえ、
マグナムがどうして退職するに至ったかを聞いた。


月曜日、マグナムはいつものように出社したそうだ。
そしてすぐに社長と専務に呼ばれ、
退職することになったという。
I’m on fire”どころか“You’er fired”である。

この件について、社長からも専務からも僕に一切説明はなかった。


マグナムの退職を知ったその日の夜、
僕はマグナムに電話をした。
マグナムは電話に出ず、
しかたなしに連絡をよこすよう留守番電話にメッセージを入れ、
電話を切った。
その後、マグナムから連絡はなかった。

僕は売られた喧嘩は買うが、
基本的に自分から仕掛けることはしない。
あらゆる暴力に対して、否定的な態度である。
ましてや社長が社員に暴力を振るうなど、
僕の常識をはるかに超えている。
こうして僕はまた、この会社に対して不信感を募らせていった。

2007.06