ジョン・レノン「スターティング・オーヴァー」
ジョン・レノンが亡くなった日のことは、
いまだによく覚えている。
その日はNHKのFMで午後から矢沢永吉の特集をするというので、
クラスメイトたちは登校時から意気込んでいた。
僕は別に永ちゃんファンではなかったので、
別にどうでもいいやと思っていた。
当時は高校受験を控えた、中学3年生。
部活動も引退し、放課後は時間がいっぱいあった。
よく学校近くの友だちの家に集まって麻雀をしたものだが、
この日はみんな矢沢永吉特集をテープに録音するといって、
早々に帰っていった。
僕もまっすぐ帰り、一応はラジオのスイッチをオンにしてみた。
流れてきたのは永ちゃんではなく、
ビートルズの歌だった。
てっきり僕は永ちゃんがビートルズのファンなので、
ビートルズの曲がかかっているのだろうと思った。
そして、そのままビートルズに聴き入ることもなく、
すぐにラジオのスイッチを切り、
冬の夕暮れのなかを本屋さんへと出かけた。
その日は火曜日だった。
晩ごはんを食べながら“ぴったしカンカン”を見ていたら、
番組の冒頭で司会の久米宏が
「今日はジョン・レノンさんが射殺されて」というようなことをいった。
ジョン・レノンが死んだと知った瞬間だった。
ジョンが亡くなったのは
ニューヨーク時間で12月8日の午後10時50分、
日本時間でいえば12月9日の午後12時50分である。
なので僕がジョンの死を知ったその瞬間は、
12月9日の午後7時30分頃ということなる。
当時の僕にとってジョン・レノンは
やっぱりロックンロールの人であった。
だから『スターティング・オーバー』が
ジョンの5年ぶりの新曲といわれても、
曲調がいまいちパンチ不足なような気がしてあまり夢中にはなれなかった。
正直にいえば、この曲の素晴らしさがわかるようになったのは、
30歳を超えてからである。
同じようにビートルズの『イン・マイ・ライフ』についても、
その良さに気づいたのは30過ぎからであった。
男40にしての再出発。
僕なんかがこんなこというのはおこがましい限りだが、
ジョンも期するところがあったのだろう。
アルバム『ダブル・ファンタジー』レコーディング中の
ジョンの表情は神々しいほどカッコよい。
「40になったら男は自分の顔に責任をもて」といったのは、
リンカーンだったろうか?
あんたにそんなこといわれなくても、
オレはジョンからそれをしっかり学んだぜ!!といいたい。