サイモン&ガーファンクル「ボクサー」
1973年1月25日、
ひとりのボクサーが亡くなった。
大場政夫、当時のWBA世界フライ級のチャンピオンである。
僕は父が格闘技好きだった影響もあり、
かなり小さい頃からプロレスやらボクシングやら、
キックボクシングなどを見ていた。
大場政夫ほどカッコいいボクサーはいなかった。
大場政夫は「逆転の貴公子」と呼ばれていた。
殴られたら、倍殴り返す。ダウンさせられたら、
必ず相手もダウンさせる。
途中、どんなにピンチが訪れても最後は勝つのである。
大場の最後の試合となった、
チャチャイ・チオノイ戦もそうであった。
1ラウンド早々にダウンを奪われた。
しかもその際、右足を捻挫したという。
それでも大場は彼らしく戦い続け、
12ラウンドに3回のダウンを奪いKO勝ちした。
1973年1月2日のことであった。
その約3週間後の1月25日。
買ったばかりのシボレー・コルベットで
首都高を走行中に帰らぬ人となった。
享年23歳であった。
ボクサーを歌った曲といえば、
やはりサイモン&ガーファンクルの『ボクサー』が真っ先に思い浮かぶ。
リングに立つひとりのボクサー
戦士という職業
彼は戦わなければならない
自分を倒そうとパンチを浴びせ
絶叫するまで切り込んでくる敵と
怒りと屈辱のなかで彼は叫ぶ
「オレはやめる、もうオレはやめる」と
でも彼はいまも戦い続けている
(サイモン&ガーファンクル『ボクサー』より)
この歌は、ポール・サイモンが
当時の自分の心境を歌っていたものだという。
映画“卒業”による大成功を収め、
スターダムにのし上がった彼だが、
それにより人々からの誹謗中傷の的ともなった。
「もう、やめてやる」という葛藤のなかで、
ポール・サイモンが苦しんでいたことは想像に難くない。
しかしクリエイターの性で、
彼はその後も創作を続け、数多くの名曲を生み出した。
たまに「どうしたらコピーライターになれるのですか?」
と聞かれることがある。
僕はそんなのは簡単だといつも答える。
名刺屋さんに行ってコピーライターという肩書きのついた名刺をつくれば、
それでコピーライターにはなれるのだ。
問題なのは、コピーライターになることではない。
コピーライターであり続けることなのだ。
ミュージシャンやソングライター、
ましてやボクシングの世界チャンピオンなどは、
コピーライターと異なり、そうそう簡単になれるものではない。
しかし、やはり大切なのは「あり続ける」ことだと思う。
途中、やめてやると思っても、投げ出さないことが重要なのだ。
大場政夫は世界チャンピオンのままで亡くなった。
その死はあまりにも悲劇的である。
だからといって、不幸な生涯だったとは思いたくない。
多くの人々の心のなかで、
大場政夫はいまもなお永遠の世界チャンピオンであり続けている。