スウィング・アウト・シスター「ブレイクアウト」


先週の木曜日、
僕のもとに届いた不可解な殺人予告メール
(?)について書いたその翌朝のこと。
ニュースを見てビックリした。
近所で殺人事件があったのだ。

すでにこの事件の詳細については、
さまざまなメディアで報道されていると思うので詳しくは書かないが、
現場となったのは我が家から徒歩
10分ぐらいのところである。
この界隈には大手の印刷会社があり、
そのまわりには小さな町工場のような印刷所や製本所が数多く点在している。
しかし、町の感じでいえば工場地帯というより、
穏やかな雰囲気の住宅街である。
そんな穏やかなところであのような惨劇が起きるとは
・・・つくづく世の中まさに何が起きるかわからないとあらためて思わされた。

考えてみれば、これは決して喜ばしいことではないのだが、
いまのこの日本において殺人事件というのは、
いつどこで起きるかわからないという危険性をはらんでいる。
何も事件は物騒なところでだけ起きることではないのだ。
学校でだって、病院でだって、そして住宅街でだって、
過去にこうした事件はいくつも起きている。
ここなら大丈夫だとか、
私だけは大丈夫といい切れる根拠がない恐ろしい世の中なのだ。

僕も「たま」を取られないように気をつけなければならない。

そんななか、土曜日に佐野(元春)くんのライブに行ってきた。
佐野くんのライブを観るのは去年の元旦以来のことである。
が、このときはとあるロックフェスでのライブであり、
佐野くん名義というか、
佐野元春
&ザ・ホーボーキング・バンドとしてのライブではなかった。

佐野元春
&ザ・ホーボーキング・バンドとしてのライブに行くのは、
実に
5年ぶりだったのである。

土曜日のライブは、
佐野くんたちが今年の
1月から行ってきた
TOUR 2008Sweet Soul,Blue Beat”」のファイナル公演であった。
ライブは開始予定時間の
6時を少しまわったころ始まった。
スクリーンに映し出されたモノクロームの映像のラストで、
アップライトピアノの音が聴こえた。

そのスクリーンの映像の音にかぶさるように、
聴き覚えのあるピアノのイントロが聴こえてきた。
1980年にリリースされた佐野くんのデビューアルバムに収められている
『グッドタイムス
&バッドタイムス』という曲である。
この曲をはじめて聴いてから、もう
28年になるのだ。
スルスルスルーっとスクリーンが上がり、
ステージ中央でアップライトピアノを弾いている佐野くんの姿が見えたとたん、
僕はオープニング早々、不覚にも泣きそうになった。

その後、『アイム・イン・ブルー』『マンハッタンブリッジにたたずんで』
『シュガータイム』そして『ハートビート』と、初期の名曲がたて続けに演奏された。
それらの曲は間違いなく僕の人生の
1ページを彩った素敵なBGMであった。
それはまさに僕の人生の軌跡といっても過言ではない。
あらためて僕は、佐野元春というアーティストと出会え、
そして同じ時代を生きている幸せを実感せずにはいられなかった。

ライブでは途中休憩をはさみながら、
3時間にわたって次々と新旧の名曲が披露された。
アンコールのラスト、
これまた初期の名曲『ナイトライフ』を演奏した後、
彼はバンドのメンバーだけではなく今回のツアースタッフ
1人ひとりを紹介した。
その真摯な態度にまたまた感動していたら、
佐野くんが最後にこんなことを話した。

僕らが次の世代に伝えるべきは希望ではないか、と。


なんかいろんなことが絶望的に思えてしまうこの社会にあって、
希望という言葉を口にするのは決してたやすいことではないと思う。
とりようによっては安っぽい言葉になってしまう。
しかし、佐野くんはあえて希望という言葉を口にした。

「ロックンロール音楽のスピリットは、決してあきらめないことなんだ」と
僕に教えてくれたのは佐野くんである。
佐野くんは、
今回のツアータイトル“
Sweet Soul,Blue Beat”というフレーズが使われている
『君が気高い孤独なら』という曲で唄っているように、
「どうしようもないここの世界」のなかで、まだまだあきらめてはいないのだ。
そういやこの日、
佐野くんは『サムディ』を唄う前にも、こんなことをいっていた。
20代には20代の、そして30代には30代の、40代には40代の、50代には50代の
「いつかはきっと」という気持ちがあると思うんだ、ということを。

希望、そして「いつかはきっと」という気持ち
・・・これはどんな日も忘れないでいようと心に誓い、僕は会場をあとにした。
そして、その夜は興奮してなかなか眠れなかった。

ら、昨日目が覚めたのは8時半過ぎだった。
寝坊してしまったのだ。
まったくもってトホホである。
しまったと思っても後の祭り。
仕方がないので週末恒例の早朝ジョギングは中止して、
そのかわり近所で行われている「文京さくらまつり」を散歩がてら見に行った。
「文京さくらまつり」は毎年この季節、
桜並木の遊歩道に地元の人たちが屋台を出したりして賑わう春の一大イベントのだ。
ほかにも地元の学生たちによるブラスバンド演奏や、
消防署の人たちによる地震体験車コーナーなども催される。

去年、僕はここではじめて地震体験車なるものを体験した。
震度
7の揺れに耐えながらテーブルにつかまり立っていたところ、
終わってから消防署の人に
「大地震がきたときあんな風に立っていたら大ケガするよ」と
えらい剣幕で怒られてしまったことを憶えている。
あれから
1年。
再び地震体験車に乗って、
この
1年間の反省と成長ぶりを消防署の方に見てほしかったのだが、
残念ながら今年は僕が出かけた時間が早すぎたので、
まだ地震体験車コーナーは始まっていなかった。

あたり一面に桜が咲き誇る坂道を下り、
千川通りに出て先日の事件の現場となったあたりをホテホテと歩いていたとき、
ケータイの電話が鳴った。
電話の主は低い声で、「殺す
! たま取る」といった。

というのは、もちろんウソである。
電話の主は友だちだった。
今日の夜、行われるスウィング・アウト・シスターのチケットが
1枚余っているので、
一緒に行かないかという誘いだった。


スウィング・アウト・シスターの名前は知らなくても、
彼女たちの代表曲『ブレイクアウト』を聴けば、
ああ知ってる知ってるという人は多いと思う。
1986年にリリースされた『ブレイクアウト』は
いま聴いても十分キャッチーなナンバーで、
たしか去年ソフトバンクの
CMにも使われたはずだ。

この曲を僕がはじめて聴いたのは、1987年の冬だった。
当時、僕が担当していたラジオ
CMのミキシングをお願いしていた会社のアルバイトの人が、
よく作業ブースのなかでこの曲を聴いていたのである。
行くたびにいつもこの曲をかけていたので、
知らず知らずのうちに僕のアタマのなかにもすり込まれてしまった。
いまもこの曲を聴くと、
まだまだ駆け出しの広告屋で「いつかはきっと」と数々の希望というか野望を抱いていた
当時のことがよみがえってくる。

残念ながら、急な話だったのでライブには行けなかったのだが、
そのかわりウチに帰ってきてから『ブレイクアウト』を久々に聴いた。
しかし、これがいけなかった。
おかげで昨日は一日中、僕のアタマのなかで『ブレイクアウト』が鳴り響き、
それは夜になってもおさまらなかった。

僕は急性『ブレイクアウト』中毒になってしまったのである。
こういう場合は、ただちに禁断症状を緩和させるしかない。
ということで、昨日は遅くまで『ブレイクアウト』を聴きまくってしまった。


おかげで僕は今朝、あやうく
2日連続で寝坊するところだった。
つるかめ、つるかめ。


2008.03