ティナ・ターナー「愛の魔力」
今日の午後、五反田で打ち合わせをしてきた帰り、
珍しいものを見た。
ヤマンバギャルである。
ヤマンバギャルが流行したのは何年前だか忘れてしまったが、
いまも棲息しているのかとビックリした。
それにしてもいま思えば、
ヤマンバギャルというのは不思議な現象だったと思う。
たしか村上龍が「古来より化粧というのは
男性を惹きつけるためにするものであったのだが、
ヤマンバギャルのメイクは
男性の視線無視であるところがかつてない現象である」
というようなことを語っていたような気がするのだが、
アンチ村上龍の僕もこの意見には賛成であった。
美しいとは到底思えなかったのである。
そもそも僕は、あまり厚化粧というのが好きではない。
極端なことをいえば、
女性の顔はスッピンが一番美しいと思う。
っても、口説き落としでもしない限り
スッピンの女性の顔を見られる機会など、
そう滅多にあるものではないのだが(笑)
でも真面目なハナシ、なんであれ、
あれこれと飾らないのがもっとも美しいと僕は思う。
ヤマンバギャルというと、
僕はどういうワケかティナ・ターナーを想い出してしまう。
ティナ・ターナーの、
あのライオンのたてがみを想わせる髪の毛の感じと分厚い唇、
そして露出度の高いファッションが
ヤマンバギャルとかぶってしまうのだ。
ティナ・ターナーは後に夫となるアイク・ターナーとともに
1960年にアイク&ティナ・ターナーとしてデビュー。
一躍スターダムに躍り出るも、
やがてアイクの暴力やドラッグ問題が原因となり離婚。
ソロとして活動をしたものの契約上の問題から
アイク&ティナ・ターナー時代のヒット曲を唄えないなどということもあり、
不遇の時代が続いた。
そのティナ・ターナーが復活を遂げたのが、
1984年に発表されたアルバム“プライベート・ダンサー”であった。
このアルバムからシングルカットされた『愛の魔力』は全米1位を獲得。
翌年のグラミー賞でも最優秀レコード賞、最優秀楽曲賞など主要部門を総ナメにし、
不死鳥のごとくメインストリームに舞い戻ってきた。
正直いって僕はこの当時、
ティナ・ターナーという人をよく知らなかった。
はじめてティナ・ターナーを見たときの印象は、
顔の感じが小春おばさんに似ているなというものであった。
小春おばさんは僕の遠い遠い親戚で、
僕が通っていた小学校のすぐ近くにひとりで住んでいた。
僕はよく小春おばさんからお菓子をもらったり、
お小遣いをもらったりしていた。
子どもの頃、本当にお世話になったおばさんの一人である。
このおばさんが亡くなったのは、僕が高校生のときである。
小春おばさんの遺言にしたがって
ごくごく近しい親族だけで葬儀が行われたという。
そして小春おばさんの遺言により、お墓の場所は伏せられた。
なので、僕は小春おばさんのお墓参りに行ったことがない。
小学校の近くにひとりで住んでいた
小春おばさんの生涯がどういうものだったのか
詳しいことはいっさい知らない。
そして何故お墓の場所を隠す必要があったのか、
僕の両親も祖父母もわからないといっていた。
奇しくももうすぐ旧盆である。
小春おばさんのお墓参りに行くことはかなわないが、
小春おばさんを想うだけでいい供養になると僕は想っている。
「小春おばさん、僕も41歳になりました。なんとか病気もせず元気にやってます」
ヤマンバギャル→ティナ・ターナー→小春おばさんというつながりで今日、
小春おばさんのことを想い出した次第である。合掌