TMネットワーク「セルフ・コントロール」


今日、神が降りてきたプレゼンに行ってきた。
首尾は上々だったのだが、お店の天井から吊るす宣伝物、
いわゆるシーリングについての提案は
NGだった。
キャンペーンを展開するお店によって
シーリングは嫌がるというのが、その理由である。

ならば致し方ない。
メーカー側にとって店舗側の協力なくしては成り立たないキャンペーンゆえ、
いらぬ摩擦を引き起こすこともなかろうとその案は早々に引っ込めてきた。

「負けるが勝ち」という言葉があるが、
僕が若い頃はそんな風には思わなかった。
負けは、負けである。
たとえ一局面たりとも負けるのはガマンならなかったし、
事実、その不利な一局面にこだわって墓穴を掘ってきた。
それで惨敗を喫したことは数え切れない。

そんな風にして、僕は広告ビジネス上での駆け引きを学んだ。

僕はかつてF1において、故アイルトン・セナが大嫌いだったのだが、
それは近親憎悪に近いものではないかと考えたことがある。
不世出の天才、アイルトン・セナと、
生まれながらにしておっちょこちょいですっとこどっこいの僕を並べ述べるのは
はなはだ僭越とは思うが、僕の中では思い当たることがあるのだ。

セナのレース哲学というのは、1秒でも速く、1周でも多くトップを走ること
…それがレースの勝利へつながるというものであった。
たしかに間違ってはいない。
それを続ければ、レースには勝てる。

しかし、セナの最大のライバルであったアラン・プロストは違った。
最後の最後、ファイナルラップにおいて
最終的にチェッカーフラッグを最初に受ければ勝ちという考え方であった。
プロストが当時の
F1最多勝利記録である通算28勝目を挙げた
1987年のポルトガルGPもそうであった。
トップを走るフェラーリのゲルハルト・ベルガーをじわりじわりと追いつめて、
最後の最後にベルガーのミスというカタチでまんまと新記録を樹立した。

トップを走っていたベルガーは、バックミラーにプロストが映ったとたん焦り、
ミスを犯してしまったとレース後、潔くコメントしている。

僕がプロストに惹かれたのは、
きっと自分にもってないものをもっていたからだと思う。
無論、それはあれから
20年経過し、
21歳の若造が41歳になったという人生経験の積み重ねによって気づかれたことなのだが。

かつて僕はプレゼンの席上で、
自分が企画したアイデアに対し、なんじゃかんじゃと言われると腹が立ち、
あらゆる限りの言葉を使ってそれを否定し、説き伏せようとした。
当然、相手側にしては面白くない。
自分の意見を今度は逆に否定されるからである。

こうなってしまうと、通るプレセゼンも通らなくなる。
相手は決定権を持っているのだ。
僕がいくらその局面局面で言葉巧みに言い抜けたところで、
最終的に依頼はこない。

そんな痛い経験のなかで、僕はプレゼンに勝つすべを真剣に考え、
そして自分なりのスタイルを模索し、確立した。

そのスタイルとは「最終的に受注できればオレの勝ち。
そのためには、自分がもんどりうって考えたアイディアを
多少否定されても気にしない」というものである。
いまの僕がクライアントと闘うとしたら
「その広告表現にウソはないか」と
「果たしてそれで消費者は動くのか」という
2点についてである。

広告というのは機能してはじめて広告である。
消費者がその広告を見、行動を起こしてはじめて機能するものである。
僕は芸術家ではない。
つくりたいものをつくればいいというものではない。
しかも僕の仕事は、クライアントからお金をもらって表現する仕事である。
クリエイターとしての誇りは捨ててはいけないが、
エゴなんてものは不必要なのだ。

プロストがF128勝の新記録を樹立した1987年は、
アサヒのスーパードライが発売された年だった。
たしか最初の
CMキャラクターは落合信彦氏だったはずだ。

このころ僕がよく聴いていたのが
TMネットワークの『セルフコントロール』である。
この曲はスーパードライが発売される前、
たしか
2月ごろに発表された曲なのだが、
ついつい自分のなかではロングランヒットとなり、
1987年の夏が過ぎ、秋を迎えてもよく聴いていた。

セルフコントロール…言葉でいうのはたやすいが、なかなか難しい。
今日だって、プレゼンしている最中、
ちょっとムカついている自分をなだめるのに必死だった。
年齢的には不惑の
40とはいえ、またまだである。
仕事に限らず、そんな風に思わされること多々である。

せめて人生のファイナルラップは、
ああすればよかった、ここすればよかったと思わずにいられるといいな、
できればおいしいビールを飲みながら
…そんな風に考えている終戦記念日前夜である。


2007.08